映画『JOKER』(2019)では劇中、チャップリンの『モダン・タイムス』(1936)が上映される場面が出てきます。『モダン・タイムス』は機械化が進み工場などで大量生産の仕組みが導入される中、本来自分たちを幸せにするはずの機械に人が取り込まれていく皮肉な様をコメディとして描いている作品です。なぜ、『モダン・タイムス』が『JOKER』の劇中で挿入されたのか。その辺りはネット上に多くの考察がありますのでここでは語りません。
まぁ、そんな知った風な言葉をはいている僕ですが、正直最初はなんで『モダン・タイムス』が挿入されたのかその意味がわからなかったんですね。なんせ本作は1936年公開で僕が生まれるずーっと前に公開された作品です。幼い頃から映画マニアだったわけでもない僕は、戦前のほぼ無音声の映画に触れる機会なんてなかったわけです。チャップリンのことは知ってたけど彼の作品を観ることはなかった。
ところが『JOKER』という心をガンガン揺さぶるあまりに衝撃的な作品内で本作に出会ってしまった。映画内であえて別の映画を上映する。当然何かそこには監督のメッセージみたいなものが込められているわけです。これはいつか観なきゃなと当然なるわけですよね。ただ、みようみようと思ってたんですがなかなかタイミングが合わなくて、ズルズルと時が過ぎてしまってたんです。
ところがある時ふと、ネットフリックスの画面を開いたらこの『モダン・タイムス』が観られるようになっているじゃあありありませんか。それで実際に観て個人的にはとても好きな作品だったので今回感想を書こうと思ったわけです。
時代を超える先見性が際立つ作品!
人間性が奪われることを警告する
先述したように本作『モダン・タイムス』は機械化の波に人が取り込まれていく様を皮肉った作品です。本作でチャップリン演じる男は工場で働いています。作業場はモニターで監視され社長の指示のもと、労働者たちはまるで機械の一部のように黙々と働かされます。
男の前にはベルトコンベアーがあり、ものすごい勢いでねじが流れていきます。彼の仕事はそのねじをひたすら締め続けるだけの単純作業の繰り返し。それが何のための労働なのかよくわかりません。とにかく素早く正確にねじを締め続けなければならない。あまりに同じ動きの繰り返しなので、休憩の時も体がねじ回しの動きをしてしまうほどです。この人間性を奪われた働き方は男の精神を蝕みます。工場で奇行をするようになった男は病院へといれられてしまうんです。
チャップリンはこの『モダン・タイムス』を作る前に、アメリカのフォード社の工場を見学しています。フォード社は製造工程を細分化。ベルトコンベアーを利用し流れ作業化することで効率的に大量の車を生産する手法を採用していました。チャップリンはこうした機械化による効率化とその中に人が組み込まれていくことが、はたして人々にとっていいことなのか、むしろこうした流れが加速するほど人々から人間性が奪われ不幸になってしまうのではないかと考えたわけです。そうした考えを具現化したのが本作『モダン・タイムス』なんですね。
この作品はまさに1930年代の「モダン・タイムス」(現代)を皮肉った作品ですが、これって21世紀を生きる僕らにも当てはまる部分があると思いませんか?
僕らも大人になり働くようなると効率のいい働き方、高い生産性を求められます。短い時間で高い成果を。それこそまさにチャップリンが危惧していた「機械のようにはたらくこと」を求められているわけです。その結果どうでしょうか?うつ病をはじめとした精神疾患を発症する人が増えていますよね?
チャップリンは人から人間性を奪うことに当時から危険を感じていた。2020年の現代とは多少形は違うかもしれませんが、その先見性には驚かされはしないでしょうか?
社会よりも刑務所がマシ?
さらに、チャップリンの先見性が光るのはこのシーン。チャップリンが演じる男は病院から退院後、とある出来事がきっかけで逮捕されてしまいます。ところが男はたまたま別の男たちの脱獄を阻止した功績が認められ早期に釈放されるわけです。拘置所からの釈放を告げられ喜ぶかと思いきや男はこう言います。
「もう少しいられませんか?ここにいると幸せです。」
引用元:『モダン・タイムス』(1936)、ユナイテッド・アーティスツ
このセリフを見た時、僕は時々ドキュメンタリーで放送される老人受刑者たちの話を思い出したんですね。彼らは年老いて捕まったので、刑期を終えて外に出ても仕事がありません。そして、多くは身寄りがなかったり疎遠になっていたりして、孤立しているわけです。職もなくお金もなく身寄りもなく独りぼっち。すると彼らの中には塀の外に出るよりも刑務所の中の方がいいんじゃないかと思うわけですよ。刑務所内であれば、屋根はついているしご飯もきちんと出てくる。制限はされているけど刑務官や他の受刑者と接することもあり、全く孤立するというわけではない。
刑務所の外よりも中の方がよっぽどいい。こうした構図が生まれるとどうなるか?彼らは再び犯罪を犯して居心地の悪い社会から居心地のいい刑務所に戻ってくるんですね。
チャップリン演じる男は老人ではないけど、仮に刑務所を出たところで職もないし恋人や自分を支えてくれる友人や知人もいないという点で状況は似ています。そうした一度会社や家族といったコミュニティからはじかれてしまった人の生きづらさ、孤独感みたいなものをチャップリンはあの当時すでに理解していた。現代に通じるそうした問題を1930年代にすでに感じ取っていたチャップリンはやはりすごいなと思うわけです。
社会風刺だけではない、人間を励ますメッセージ
チャップリンは本作や後に公開される『独裁者』(1940)のように、社会を風刺する作品も多いです。しかしそれだけではなく、弱者や辛い社会を生きる人々を励ますメッセージを作品に込めています。
本作でチャップリン演じる男は、ある少女と意気投合し二人で家を建てることを目標に頑張ります。ところがなかなかうまくいかず職を失い、別の職場でやっとうまくいきかけたところでも、少女が浮浪罪で指名手配されていてその職場をクビになってしまうんです。
もうダメだと打ちひしがれる少女を男は懸命に励まします。そしてラストシーン。このシーンはぜひ実際に観てほしいのですが、なかなかうまくいかない人を励ますグッとくる名シーンです。正直僕はウルっときてしまいました(笑)
おそらくこうした作風は、チャップリンが少年時代に味わった極貧生活があるからでしょう。
生まれたころは一家の暮らし向きは比較的良かったが、ほどなくして暗転した。二歳のときに両親は離婚。母は貧困のあまり精神に異常をきたして入院。父は酒が原因で死んだ。お朝ないチャップリンと異父兄のシドニーは狭い屋根裏部屋と貧民院とを行き来し、時には路上で寝るという極貧の幼少時代を送った。
引用元:『チャップリン』大野裕之 中央公論新社
後にはスーパースターとなるチャップリンですが、頭にはいつも幼い頃の極貧生活があった。だから成功して大金持ちになった後もそのまなざしは社会の底辺にいる弱者や、時代や国家に左右される人々に向けられていたのではないかと想像するわけです。
そうした態度は本作『モダン・タイムス』のラストシーンにまさに集約されている。僕はそんな風に思いました。ぜひ実際に観てほしい。
まとめ
今回はチャップリンの『モダン・タイムス』を紹介してみました。本作はチャップリンの作品では最後のサイレント映画です。(一部セリフや音楽は入ります。)「サイレント映画はちょっと」という方でも、チャップリンの卓越したパントマイムで飽きずに楽しめると思います。それに映画には音声があるのが当たり前という現代の僕らにとっては、こうしたサイレント映画を観るのもまた新鮮な気持ちが味わえていいのではないでしょうか?
また、本作を観ることで今度は『JOKER』でなぜこの作品が挿入されていたのか?その理由も何となくわかるだろうし、それによって今度は『JOKER』という作品もさらに楽しめると思います。
ここまで述べてきたように、色々な点から僕はこの作品が好きだしおススメなので興味があればぜひご覧になってみてください!!