バットマンとジョーカーの対決を描いた『ダークナイト』を観た時からこんな風に思っていました。「ジョーカーヤバい!!っていうかどうやってジョーカーってジョーカーになったんだ?」
一応知らない人のためにお伝えしておくと、ジョーカーというのはバットマンシリーズに出てくる悪党です。悪党なんだけど、ダークナイトではバットマンを完全に食っちゃってる(存在感で)と言っていいぐらい強烈なインパクトを残してます。
ただ、ジョーカーってなぜジョーカーになったのかっていう経緯ってほとんど描かれてないんですよね。彼は超人とかじゃなくて能力的には普通の人間なんですよ。ってことは悪党になる前だってあるわけじゃないですか。生まれてからずーっとジョーカーでしたなんてことはありえないわけで。どこかでジョーカーになるできごとがあったと考えるのが自然だと思うんですよね。
そんなわけでジョーカーはいつどうやって誕生したのかという疑問は僕の中にあり続けたわけです。で、その疑問に対する一つの回答がすでに大ヒット中の映画『JOKER』というわけです。
でね、この映画に関してはもう数多の評論家の人たちが、それはもう素晴らしい評論を述べてくれてます。作中のある場面がどういう意図を持っているのかとか、別の映画の関連性とかもすごくわかりやすい語られている動画とかもあります。なので、僕はそれをしません(できないっていうのもあるけど)。なので、僕はもう正直にこの映画を観て思ったことをドストレートに書いていこうと思います。
ちょっとだけネタバレアリです。
まずは簡単なあらすじから。
舞台は1980年代のゴッサムシティ(架空の街)。大道芸人のアーサーはコメディアンを目指しているものの芽が出ない。今は大道芸人を派遣する会社に登録をして何とか仕事を得ている。病弱の母ペニーの介護、また自らも感情が高ぶると突然笑いだすという障害も抱えカウンセリングを受け、多くの薬を服用しながら日々を過ごしている。
それでもアーサーはひたむきに生きるのだが、そんな彼に日常をゆるがす大事件が起こる。そこから少しずつ歯車は狂い始めた。母親想いの優しい男がなぜ狂気の悪党ジョーカーへと変貌を遂げたのか?
観ろ!!とりあえず観ろ!!
先述したように、もう映画の評論とかはちゃんとした人たちがやってるので、僕はもうシンプルに言いたいことを言います。
「まだ観てない人はとりあえず観ろ!!映画館のでっかいスクリーンで!!」
ちなみにこの記事を書いているのは2019年の10月30日ですが、現時点でジョーカーは国内で4週連続首位で、観客動員数は240万人越え、興行収入は35億円を超えているそうです。ついでに言うと全世界での興行収入は900億円越え!!(参考記事:https://theriver.jp/joker-box-office-11/k)
この数字だけ観てもすごいんだけど、おそらくこれリピーターの人がメチャメチャ多いと思うんですよね。僕ももう一回劇場で観たいと思いましたし。いやっ、それ自体は素晴らしいことなんだけど個人的にはもっと幅広い層の人たちに観てほしい。
「えっ?でもバットマンとかジョーカーとかってもともとアメコミのキャラかなんかでしょ?そういうのなんか苦手なんだよね。」
うん、そういう意見があるのもわかる。でも、この『JOKER』は単なる勧善懲悪じゃないんです。
本作では格差、貧困、障害、差別、持つ者と持たざる者などなど、今現在この社会を取り巻くすべての問題が反映されてるといっても過言ではありません。それを僕らはアーサーの人生を通じてまざまざと見せつけられるんです。
一人の人間が社会の厳しすぎる荒波に容赦なく叩きつけられる。いやっ、それどころか社会の片隅で何の救いもなくその存在自体をまるでないものとして扱われていく。誰も自分を見てくれない。誰も自分を救ってくれない。居場所は次々と奪われていく。そんな状況に置かれたらどうなると思います?狂うんですよ。人は狂うんです。
でも、僕らは人が狂っていく過程を目にすることってまずありませんよね。すでにそうなってしまった人を見ることはあるかもしれませんが、徐々に人間が狂気に取り込まれていく様を見ることはまずないです。それを『JOKER』では冒頭から終わりまで「あんまりだ」というぐらいアーサーに降りかかる出来事を通じて追体験することになります。思わず目を背けたくなるほどに。
またアーサーを演じるホアキン・フェニックスの演技が素晴らしいんだ。ほんとに、だんだん人が狂気に侵食されていく様っていうのを見事に演じてます。これは演技について素人の僕でも「ああ、だんだんヤバくなっていってる」っていうのがわかるぐらいです。彼の演技はぜひ大迫力のスクリーンで観てほしいし、それを観るだけでもお金を払う価値はあると思いますね。僕はすっかりファンになってしまいました。
もちろん、フィクションではあるしあまりにも悲劇的すぎるとリアリティを感じにくい人もいるかもしれません。ただ、アーサーがぶち当たる問題を分解してみていくと一つ一つは確実に僕らに関係するものなんです。もしかしたら今は無関係かもしれない。でも将来はわからない。じゃあ、もし仮に彼と同じような立場になったら自分はどうするのか?どんなことを考えるのか?そんなことを想像させられます。
自分が道端で死んでいても誰にも見向きもされないということ
ここはちょっとネタバレになりますが、作中とある場面でJOKERへと変貌を遂げたアーサーはこんな風に自らの思いのたけを語ります。
「僕が道端で死んでいたら皆踏みつけるだろう」
すごく悲しくないですか?このセリフ。これはつまり「みんな俺みたいなやつのことを無価値だと思ってるんだろ!?」って問いかけてるんです。観客にそして社会に。これから悪党として散々名を轟かせる男がこのセリフを言うんですよ。でも、彼がアーサーとして受けてきた仕打ちを観てきた観客からすると、このセリフがめちゃめちゃ刺さるんです。
もちろん彼が彼が犯した罪に対しては全く支持できないけど、このセリフにはとてつもなく共感してしまいました。どこにも居場所がない、誰にも見てもらえないというのは想像するだけで本当にツライ。俺のことをゴミのように扱う社会にへりくだる必要なんてないんじゃないか?社会が俺をいじめるなら、俺が社会をいじめる側になってやる。今の社会にだってそういう思いを抱いている人はいるのかもしれません。誰だって居場所が欲しいし、自分を認めてもらいたいですよね。
僕は少なからずそういう思いを抱いている人にこそ本作を観てほしい。ジョーカーになれとかジョーカーの真似をしろと言いたいんじゃありません。アーサーという男に起こる悲劇に触れることで、カタルシスが得られるからです。
ちなみにカタルシスとは何ぞやという話ですが、簡単に言うと「心の浄化」ですね。
カタルシスという言葉は、「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」を意味します。もともとは、アリストテレスが『詩学』に書き残した悲劇論から、「悲劇が観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する効果」をさす演劇学用語です。転じて、精神医療においては「抑圧されていた心理を意識化させ、鬱積(うっせき)した感情を除去することで症状を改善しようとする精神療法」をさします。さらに、一般化して、「心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること」をいいます。
もちろん、それで何かの問題が根本的に解決することはないのかもしれない。でも、スッと気持ちが楽になる、ちょっとだけ心にのしかかっていた重しが取れたような感覚を得られる。それはもしかしたらあなたが明日への一歩を踏み出すために必要なことかもしれません。映画が人生をガラッとは変えてくれないかもしれないけど、後押しをしてくれる。本作もそんな映画の一つだと思っています。
まとめ
思うままに語ってしまったので、まとめも何もないですね。もうバーッと感想を書いたという感じです。とにもかくにも「行こうかどうか迷ってるんだよな」っていう人は、今すぐこのブログを閉じて劇場へ行きましょう!!
ちなみにこれまた故ヒース・レジャーが演じた映画史に残るジョーカーが登場する映画『ダークナイト』はAmazonプライムで観られるので、そちらも観てジョーカーを比較してみるとより楽しめると思いますので、興味がある方は30日無料体験もあるのでぜひ登録してみてください♪
※本ページの情報は2019年10月時点のものです。最新の配信状況はAmazonプライム・ビデオのサイトにてご確認ください。