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お願いする時は熱意をもって何度でも足を運ぶ。劉備が孔明にした三顧の礼を見習おう。

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マンガから学ぼうシリーズ。

 

今回は三国志21巻からです。

ちなみにですがあなたは『三顧の礼』ってご存知でしょうか?

 

一応知らない方のために説明をしておきます。

 

三顧の礼とは?

三国志の主人公劉備は、自分が今後天下を手中にするには伏龍、鳳雛のどちらかを得よということを水鏡先生という方から教えられます。

 

そのうちの一人伏龍、本名は諸葛亮孔明が隆中という自分たちの住む場所のすぐ近くにいることを知るのです。

 

しかし、孔明はそう簡単に動く人物ではない。そう聞かされていた劉備は直接孔明の元を訪れ自分を助けてもらえるよう頼みに行こうと考えるのです。

 

そして、一度目の訪問。義弟の関羽と張飛と共に隆中を訪れた劉備でしたが、あいにく孔明は出かけてしまいあうことができませんでした。

 

そして、二度目の訪問です。この時は外に雪が降るような厳しい気候でしたが、劉備は再び関羽、張飛とともに孔明を訪ねます。

 

今度こそ会えるかと思いきや、隆中の孔明宅にいたのは、孔明の弟の諸葛均でした。孔明は劉備が訪れる日の朝に、友人と出かけてしまっていたのです。

 

今回も孔明に会うことができなかった劉備は、自分の気持ちをしたためた手紙を諸葛均に預け再び城に引き返すのでした。

 

そして、三度目の訪問訪。雪の季節が終わり春が訪れたころです。劉備は再び関羽、張飛とともに隆中にいる孔明を訪ねるのでした。

 

つまり、目上である劉備が格下である孔明を三回訪ねてお願いをしたというのが三顧の礼なんですね。ちなみにウィキペディアにもそんなような説明が載ってます。

 

三顧の礼(さんこのれい)は、故事成語のひとつ。目上の人が格下の者の許に三度も出向いてお願いをすること。中国で劉備が諸葛亮を迎える際に三度訪ねたとする故事に由来する。

引用元:三顧の礼 - Wikipedia

 

三度目の訪問でようやく孔明に会えたが・・・。

 

どうやら今回は孔明は在宅の模様。しかし、孔明は昼寝中だと家の雑務をする童子に教えられます。童子は「起こしてこようか?」と提案しますが、劉備は自分が勝手に訪ねてきたのだから起きるまで待つと言い、孔明が起きるまで家の外で待つのでした。

 

しばらくして孔明が昼寝から目覚めると、外には自分の見知らぬ人物が立っています。その人物は劉備であるということを童子から教えられた孔明は、劉備を家の中に招き入れるのでした。

 

さっそく劉備は自分を助け天下のために立ち上がってくれないか?と頼むのですが、孔明は首を縦にはふりません。

 

そのかわり劉備だけでも国を救う方法を教えるのです。それが「天下三分の計」です。

 

この時の中国は、曹操がいる魏と孫権がいる呉が巨大な勢力を持っている時代でした。では、彼らに対抗する術はないかというとそうではないと孔明は言うのです。

 

それは劉備が世話になっている劉表が治める荊州と劉璋が治める益州の地を合わせた西蜀五十四州で国を興すこと。天下を統一するのではなく、魏、呉、蜀の三つに分けることで曹操と対等になることを説くのです。

 

孔明すげぇな・・・と思った読者の方も多いでしょう。隆中という片田舎でこれだけのことを考えているわけですからね。その話を目の前で聞かされた劉備としては孔明のすごさを思い知った瞬間でしょう。ますます彼のことがほしくなったに違いありません。ところが孔明は劉備の一緒に来てくれという提案を受けてくれないのです。

 

ガッカリする劉備。自分の力がないばかりに国が絶えはててしまうと嘆くのでした。

 

おそらくここまでで孔明は「これほどまで劉備は自分に期待してくれているのか。」と思ったのでしょう。また話をする中で劉備の誠実な人柄や民を憂い国を思う気持ちを感じ取ったのではないでしょうか。

 

最初は劉備の誘いに首を縦に振らなかった孔明ですが、肩を落とす劉備にこんな言葉をかけるのです。

 

将軍の気持ちはよくわかりました

たいして力のない私ですが 共に国事につくしましょう

引用元:三国志 (21) 孔明の出廬 (希望コミックス (74))p186

 

ついに孔明は劉備の下働くことを決めました。劉備は諸葛亮孔明という人材を得ることに成功したのです。

 

重要なお願いをする時は劉備の三顧の礼を見習おう

あれだけ劉備の誘いに対して首を縦に振らなかった孔明が何で最後には了承したのかというと、

 

  • 劉備がわざわざ自分の元に三度も足を運んでくれたこと
  • 直接劉備と話す中で、その人柄や思いに直接触れたこと

 

っていうのが大きかったのではないかと思います。

 

これが仮に劉備が横柄な態度であったり、部下に命じて孔明を無理やり呼び寄せたり手紙などで済ませていたとしたらどうだったでしょうか?

 

おそらく孔明は劉備の元には来なかったでしょう。そして劉備はやがて曹操もしくは孫権の勢力に蹂躙されていたに違いありません。三顧の礼を尽くしたからこそ、孔明は劉備のために立ち上がったわけです。

 

今の時代、ネットの発達と共に人とのコンタクトは割と簡単にとれるようになりました。簡単なお願いや依頼であればメールやTwitter経由でも可能だし、あるいはラインなどを使ってお願いすればいいと思います。

 

ですが今回劉備が孔明に頼んだのはそんな簡単なことではありません。国を救うというとてつもなく重要なお願いです。孔明は劉備が直接訪ねて頭を下げてもなかなか首を縦にはふりませんでした。ですが、先述したように孔明が折れたのは劉備が三顧の礼をつくしてくれたことに対して恩義を感じたからです。心を動かされたからなんですね。

 

このように、一度ダメでも二度、三度と直接訪ねてお願いをすること。直接会って自分の思いや考えを伝えることというのは時に人を動かします。「難しいかもしれない。」というお願いでも聞いてくれる可能性はあるわけです。

 

なのでもしあなたが「ちょっと難しいかもしれない。」というお願いを誰かにするのであればこの三顧の礼を見習ってみてください。一度ではなく二度、三度と相手を訪ねてみる。そして自分の思いやビジョンなどを伝えてみる。そうすればあなたのお願いも聞き入れてもらえるかもしれません。(保証はしません。ダメな時はダメなので)

 

それではまた!!